2008年08月04日

2004年大会の田中正人のレース模様

以下の文章は、2005年に文部科学省登山研修所が発行した『登山研修Vol.20』に田中正人が『山岳ランニングのトレーニング、コンディショニングおよびレース中の身体ケアについて』と題して書いたものの抜粋である。

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究極の山岳マラソン:「トランスジャパンアルプスレース」 

 日本最高どころか世界でも類を見ない究極の山岳マラソンが200487日から15日にかけて行なわれた。これは富山県早月川河口から静岡県大浜海岸までアルプス山脈を縦走する421kmに及ぶ日本横断レースである。制限時間は8日間で、夜間ノンストップで行なわれる。私はこの行程を過去最高の6日間2時間で走破することができた。山岳ランニングを始めて12年以上経つが未だかつてこんな無謀な挑戦はしたことがなかった。これまでに、サハラマラソンで限りある食料で1週間走り続けたり、数々参加したアドベンチャーレースでは平均睡眠時間が23時間で10日間近く行動し続けたりもした。しかしながら、サハラマラソンでは夜は野営だがゆっくりと寝ることができたし、アドベンチャーレースではカヌーなどの種目もあるので脚を休めることができた。脚力だけを使って不眠不休に近い状態で1週間近くも行動し続けることができるのか?未知への挑戦がトランスジャパンアルプスレースにはあった。
 スタート前:足首の捻挫予防の為に伸縮性のテーピングを巻いたが、スタート直前だったこともあり左足しか巻けなかった。テーピングの効果を比較してみたいという軽い気持ちがあったのでそのままスタートしたが、それが終盤に思わない事態をもたらすことになった。
 1日目:早月川河口を午前零時にスタートして馬場島まで舗装路を走る。剣岳〜立山〜薬師岳と進み、北ノ俣岳で1時間ほどツェルトでビバーク。
 2
日目:寒くて寝られないまま出発し、午前中に上高地に下りる。ここまではかなり順調で、コースタイムの半分くらいで走破する。舗装路で奈川渡ダム〜境峠〜JR薮原駅〜木曽駒高原スキー場に早朝到着、2時間ほど寝る。ここまでは体力的に問題は感じられない。足のマメや睡魔くらいの問題である。
 3日目:ここから中央アルプスとなり木曽駒ケ岳に登るがペースが上がらない。食事を多めに摂ることを心がけながら空木岳を経て駒ヶ根市街に下りる。スーパーで食料を調達し、腹一杯食べる。舗装路で中沢峠を経て早朝に市野瀬に着き、3時間ほどビバークする。
 4
日目:いよいよ南アルプスに入る。仙丈ケ岳に登るが、食料調達で荷物重量が増えたためかスピードが出ず疲労感が強い。とうとう熊ノ平小屋で疲労困憊状態となり夕方早かったがテント場でビバークする。とにかく食べて5時間ほど寝る。ここまで山地図の標準コースタイムの約半分のペースで1日20時間以上行動し続け、「いつまでもつのか」という不安と好奇心が入り混じった心境で走ってきたが、とうとう体の限界が感じられてきた。体に蓄えられた脂肪エネルギー分が完全に枯渇したのが手に取る様に分かった。
 5日目:雨が降っていたが真夜中に出発。ここからは、食べた分しか動けない状態となる。ペースを抑えることで走り続けられる状態だ。塩見岳〜荒川岳〜赤石岳を経て聖岳に近づくと、とうとう体の故障が現われ始めた。右足のアキレス腱が痛み出した。左足はなんともないのに何故右足だけが痛むのか?走り方が悪いのか?微妙に着地の仕方を変えてみたり、体の使い方を変化させてみたり考えられることを全てやってみたが改善は見込めなかった。いろいろ原因を考えながら走っていて、残った結論は一つしかなかった。スタート時に左足だけにテーピングを巻いたことであった。これは捻挫予防の目的(私は左足に捻挫癖がある)だったが、テーピングを巻いたことで疲労が軽減され故障予防になった。しかし、テーピングをしなかった右足にはオーバーワークによる炎症が起きたものと思われた。痛む度合いに加速性が出てきた時点で足首をテーピングで固定した。痛みは軽減したが負担をかけることはできないので、左足に力を入れて走るようになる。しかし、茶臼岳近くで左足の大腿四頭筋が痛み出し、畑薙ダムへの下りではストックを松葉杖かわりに体を支えながらでないと歩けなくなった。どうにかダムまで下りて痛む部分をテーピングで巻いて圧迫するとまた走れるようになる。しかし今度は左側の腰骨の下あたりがピキッと鋭く痛むようになった。恐らく大腿四頭筋の痛みをテーピングで抑えたため、筋繊維がつながっている反対側部分に痛みが移ったとしか思えない状態である。民家で氷をもらってアイシングしたあと腰骨下もテーピングで圧迫する。再度走れるようになるが、いつどこが故障してもおかしくない状態のため、ポンコツ車を運転するように慎重に走る。完全に体が壊れ始めている。肉体的な限界に達したようだ。その後ゴールまで舗装路を走るが、時速5kmくらいしか出せない。途中左足の大腿四頭筋が再度痛み出し、ストックを固定していた結束バンドで痛む太腿を縛る。ピンポイントで痛みが軽減する場所を探し出し、血流が止まらない程度に縛り上げた。いつ動けなくなってもおかしくない状態で、歩くよりも遅い速度で走ってどうにかゴールすることができた。
 このレースでは無謀ともいえる行動を取ることで、体の限界を知ることができた。まずエネルギー的な問題では、体内の脂肪エネルギーを使い果たしたと思える状態まで陥った。体重は65kgだったのがレース後6kg強減っていた。だが、ひたすら食べることでどうにか動けるということが分かった。肉体的な限界も5日目に訪れたが、テーピングによる補強を施しておけばさらに限界は伸びたと思われる。また、筋肉トレーニングを継続的に行ない筋力アップを図れば丸1日記録を短縮できる実感を掴んだ。
 最後に精神面について述べておきたい。このように長距離の過酷なレースでは強靭な肉体が必要なように思われがちだが、実際は精神面での強さのほうが格段に重要である。このようなレースではスピードを上げるよりも行動時間を長く取るようにしたほうが得策となる。つまり休憩時間や睡眠時間を極力減らす。ダラダラとした時間を1分たりとも許さず、睡魔にも打ち勝たなくてはならない。四六時中一時も気を緩めない気持ちの強さが必要となる。それには明確な目標を持って臨むことが絶対条件となるだろう。私はこのレースに臨むにあたって5日間でゴールすることを目標にしていた。そして行動予定表を立てた。そこには、山頂ごとの通過予想時間を細かく書き込んだ。常に目の前に見える頂に到着する時間を意識して走っていた。420kmの行程の中で、いつも数キロ先のゴールを目指していたのだ。ペースが落ちた区間があれば、次の区間で取り戻そうとする。そうすると集中力が途切れず、睡魔にも打ち勝つことができる。また、気持ちが一旦萎えてしまうと一気に体が動かなくなることを知っているだけに、前向きに挫けない気持ちの持ち方を持つ習慣も必要だ。苦しいときは現状離脱するためのいろいろな言い訳を考えてしまいがちだが、それよりも成し遂げたときの気持ち良さや達成感をイメージする。みんなに祝福されるイメージや、ゴールしたらアイスクリームを2リットルくらい一気喰いしてやろうとか、そんな単純なことでパワーが出てくるのだ。どんなに強靭な肉体を持っていても精神面が弱ければ屁の役にも立たない。
 
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2004年大会後の田中正人の足
posted by TJAR at 12:32| Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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