2008年08月21日

【山北道智選手】レースを終えて

日本海から太平洋まで、山と舗装路を自力で走破する究極のレース、 「トランスジャパン・アルプスレース」が終わった。 最年少、最下位で完走を果たした。

僕はこの隔年のレースに今回始めて参加した。
総距離は425km、制限時間は7日間+1日。
これほどまで長期にわたるレースも初めてである。

初日は8月10日、富山の早月川河口で海に触れ、午前零時にスタート。
夜が明けるころ登山口に到着し、無理なく選手を抜いていく。

先は長いので抑え目に行くと、体がとても楽だった。
初日は剣、立山、薬師岳を越えたところで4時間ほどビバーク。
翌日もからだが軽く、ほとんど疲れていない。
天気もよく、北アルプスの景色がとても気持ちよかった。
槍ヶ岳山荘に1日と10時間で到着し、カレーを食べる。
そのまま上高地に下りて、北アルプスを終えた。ここまで120kmくらい。
消耗も少なく、バスやタクシーを横目に見ながら、舗装路に突入。

仮眠を取りながら夜間に70kmを走破し、
中央アルプス玄関の木曽駒高原スキー場を2日7時間で通過。
この時点で3位についていた。実力以上のレース展開だった。

しかし、疲労は意外なところに現れた。
中央アルプスの半ばで徐々に、右目が見えなくなったのだ。
かゆくなり、目ヤニが出ると思っていたら、視界が白濁してきた。
下りでスピードが出せない。
同時に、蓄積された筋疲労やマメもスピードの低下に拍車をかけてきた。

翌日は一日かけ、南アルプスへ入る前のチェックポイントへ歩き、
デポしておいた荷物を回収する。
4日ぶりに風呂に入り、気分を一新させた。全行程の、約半分が終わった。

しかし、朝起きて愕然とした。足の裏がボロボロで歩けなかった。
マメの中にマメができ、赤い肉が見えている。一歩踏み出すたびに激痛が走る。
そこからレース後半の200kmはまさに地獄だった。
スピードを殺され、睡眠時間を削って完走を目指すことにした。
5日目は3時間、6日目は2時間半、7日目、8日目は合計して1時間も寝ていない。
両足からは膿が出て腐臭が漂い、鎮痛剤の副作用で皮膚は荒れ、
鼻をかむたび、歯磨きをする度に血が流れ出す。気味が悪くなった。
粘膜がただれて何を食べても味は感じなくなったが、
食べないと動けないので山小屋にあるものは何でも食べた。

深夜の稜線をライトひとつで走る緊張感と、
高度3000mの突風の中でも、ノンストップで継続するレース。
一瞬でも気を抜いたらすべての努力は泡と消え、崖下に落ちる。
厳しいレースだった。
景色を楽しむ余裕もなく、ひたすら地図と時計を見ながら、
夜も昼も進み続けた。一週間、一分一秒を惜しむ緊張感が続く。

苦しみもだえた南アルプスを終え、
最終日は静岡までずっと舗装路を走った。現実感がなかった。
30分毎に足と手を上げて血を巡らせないと、
体の末端がパンパンに浮腫んで固まってしまう。
もうとっくに体は限界を超えて、精神力だけが骸骨のように体を支えていた。

しかし不思議なことに、体脂肪はすぐに枯渇しても、気力だけは無限に沸いてくる。
この一週間、一度もあきらめようと思ったことはなかった。
応援と、これこそ僕が情熱を傾けて準備してきたことだからだ。

そして最終日の午後10時半、制限時間もギリギリ、失神寸前の状態で、
夢にまで見た太平洋に辿り着いた。

ゴールする浜を一度間違えるという珍プレーをかましたものの、
出迎えてくれた人達がいたのは、本当に嬉しかった。

僕のレースは最初から最後まで、不器用で、無駄に過酷だった。
もっと余裕を持って作戦を立て、レースを展開させていけば、
はるかに楽に完走できただろう。

しかし、様々な状況下で、一人でどんな判断をし、手を打つことができるか、
どれほどの力を持っているのかが、この8日間でよく分かった。
これまで参加したどんなレースを比べても、
足元にも及ばないほどつらかった。恐いものがいろいろ減った。

そしてやっぱ、楽しかった。
応援を下さった方、ありがとうございました。
posted by TJAR at 14:11| Comment(0) | 山北道智 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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